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ときのこえ
2019.09.10(火)

ときのこえ 2019年9月号

「神と平民のために」生き抜いた山室 朝野 洋

ときのこえ2019年9月1日

真に人を突き動かす力は何か。大伝道者パウロは、「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」(コリントの信徒への手紙一9章23節)と後進に書き送っている。

「もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。」(同16節)

「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸」だとパウロに断言させる福音は、時を経へ、日本で初めて救世軍士官(伝道者)となった山室軍平の力となった。

明治五(一八七二)年に生を受けた山室は、明治と共に成長したと言っても過言ではない。日本が大きく変革する中で、貧しい農家に生まれた山室が強く望んだことの第一は、教育を受けることであった。養子先でその保証を失った彼は、十四歳で家出をする。東京に着き、様々な人の助けを得ながら仕事を得、貪欲に学ぶ中「福音―キリストの福音」に出合った。

「……わたくしは、天の父のいますこと、自分の罪のこと、またキリストの執り成しのこと等に関し、ほぼキリスト教が教えるところを理解したように思った。そこでわたくしは正直に自分の気のついたかぎりの罪を悔い改め、キリストとその十字架とを信じて罪のゆるしを求め、その救いを受けて、ともかくも及ぶかぎりまじめに、信仰の道を歩むこととなった……。」(山室軍平著『私の青年時代』より)

キリストの救いの感激は、仕事の合間に外に出て行っては路傍伝道する力となった。自分が受けた救いの恵みを語らずにいられなかったのである。そして、福音の喜びが勝るほど、自分と同じような、平民・労働者にとって福音が近づきにくいものであるという現実に苦しむ。「神と平民のために」生きる者でありたい、という願いは、青年山室の心で大きくなる一方であった。

尊敬する新島襄を慕って同志社で文字通り苦学するも、新島の死後は神学の相違に悩んで退学。多くの孤児を助けた同郷の石井十次の働きに共鳴するも、そこには自らの命の捨て場を見いだせなかった山室。しかし神は、明治二十八(一八九五)年九月に来日し、活動を始めたばかりの救世軍に山室を出合わせたのであった。

救世軍の創立者ウイリアム・ブースも貧しい家庭に育ち、「平民」の苦しみを知る人物であった。メソジスト教会の伝道者として活動する中、「福音」を知らされるべき人々は、英国の華々しい産業革命の裏に存在した「最暗黒」に置かれた労働者たち、また、極度の貧困に喘ぐ女性や子どもである、との天啓を受けた。ブースは、最も虐げられた状態に置かれた人々にキリストの救いを告げ、生活の改善策を与え、その生き方そのものを「回復」させる福音を英国から世界へと拡大させた。後に、創立記念日とされたブース最初の天幕伝道の日から、救世軍来日まで、わずかに三十年であることが、その福音の勢いを証明している。

神と平民のために、と救世軍に身を投じ、救世軍士官となった山室は、ブースの思想に共鳴し、どんな境遇にある人をも「変革」させる福音の力を日本中にもたらした。刑務所で刑を終えた人々を助けたことから、「山室は前科者の親玉だ」と言われたことさえあった。身売りされた女性の救済と自立支援等、政府・経済界の要人にも臆することなく支援を求め、同志を得て働きを拡大させたのである。

若くして山室の魂に刻まれ、生涯彼を動かした福音の力は、燃える火のように人々の心に点じられ、彼らを動かした。その炎は、今も点じられる魂を求めている。そして今、あなたを突き動かす力となり得るのである。

(救世軍士官〔伝道者〕)

 

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