お知らせ

NEWS
ときのこえ
2012.08.15(水)

ときのこえ 2012年8月1日号

THE WAR CRY 第2629号 救世軍公報

神様に守られ、導かれて、現在がある サムエル・ホー

サムエル・ホー

昨年の東日本大震災以来、救世軍は被災地の救援・支援活動に携わってきました。日本国内はもとより、世界中の救世軍を通して寄せられた献金や物品を用いて、被災地の必要に応えています。その中でも、香港の救世軍からは何度も指揮官(代表者)と災害救援担当者が来日し、視察とともに救援活動に加わっています。
その香港の救世軍の指揮官サムエル・ホー大佐補にお話を伺いました。

ー サムエル・ホーさんのご出身は?
ホー ベトナムです。私は中国系のベトナム人で、サイゴンで生まれ育ちました。家族は、祖母と両親、私を含めた4人の子どもでした。両親は若く貧しかったので、私たちをキリスト教会に行かせました。教会が子どもを看てくれたからです。無料託児所というところですね(笑)。私は、教会がおこなうたくさんの活動をして、ずっと教会で過ごしました。賛美歌を歌ったり遊んだり……。小さい頃は教会にいることが楽しくて仕方ありませんでした。
祖母は仏教徒でしたが、私が教会に行くことを喜んでいました。おそらく、とても単純に、キリスト教会は良い事を教えてくれる所だ、悪い所ではない、と思っていたのでしょう。

ー では、このような環境の中で、自然に、クリスチャンになられたのでしょうか。
ホー そうですね。本当に自然に、神様を信じるようになりました。青年世代になっても、私は教会にとどまっていました。ある時は、聖歌隊の中にたった一人の男子だったこともあります。これは、小学生の頃の先生がクリスチャンだったことも大きく関係していると思います。それがあったから、教会につながり続けることができたとも言えます。

ー ところで、お生まれになった頃は、ベトナム戦争の時期ですね。
ホー はい。私が生まれたのは戦争の最中でしたし、ベトナムで過ごした時間すべてが戦時下でした。1968年の正月には、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が米国大使館を襲い、1972年には戦線が南下し、サイゴンの近くも戦場になりました。そして1975年に敗戦となりました。

ー そのような中で、ベトナム脱出をされた……。
ホー 私も両親も、このようなベトナムで将来が描けなかったのです。やがて、カンボジアへの侵攻が始まり、青年たちも戦争に駆り出されるようになりました。私が18歳の頃でした。戦争には加担したくない ? 私は、神様に問いかけ、出国することに祝福があるように祈りました。私はその時すでに、将来キリスト教の牧師となり、すべての時間を神様に献げるように、導かれていました。
7月に一度脱出を試みましたが失敗に終わりました。その日から、ベトナムを離れるまで3年間かかりました。そして、1978年6月17日、私の21歳の誕生日にベトナムを離れて、マレーシアで保護され、国連の難民支援の方に助けられて、オーストラリアのメルボルンに行くことができました。

ー ご家族全員で脱出されたのですか。
ホー いえ、この時は私一人です。第一は、費用です。非合法的に船で出国するために、多額の費用がかかりました。第二に、逃亡は危険を伴います。家族一緒でなければ、一人が死んでも他の家族は生き残れます。私の知り合いの家族は三世代一緒に逃亡を試み、全員殺されました。両親は全滅を防ぎたかったのだと思います。
1年後に弟が脱出。その後、両親、妹……と、11年かかりましたが、家族全員がオーストラリアに渡ることができました。本当に神様に感謝しています。

ー ホーさんは、オーストラリアに着いた後、どうされましたか。
ホー すぐ、難民のための宿泊施設に入ることができました。すると救世軍の士官(伝道者)が宿舎を訪ねて来て、衣服などの世話をしてくれました。その時が救世軍との初めての出会いです。
最初の日曜日は、施設長が紹介してくれた教会の礼拝に出席しました。その午後、衣服の世話をしてくれた救世軍士官が訪ねて来て、誘われて救世軍小隊(教会にあたる)の伝道集会に出席しました。そこは、会衆20〜30人くらいの小さな小隊でしたが、温かく私を受け入れてくれました。タバコも禁止されていて、自分に合っていると感じました。それからは、そこに出席するようになりました。

ー 言葉の問題はいかがでしたか。また、生活は?
ホー 英語は全く話せませんでした。家族と離れて、一人ぼっち、本当に寂しかったです。毎晩泣きながら、母親に会いたい、と日記に書いていました。そんな時、私より先にベトナムを脱出してシドニーに来ていた家族がいて、そこの娘さんドニーが私に手紙をくれたのです。ドニーとはベトナムで知り合いだったので、どんなに慰められ、力づけられたかしれません。
生活のほうは、オーストラリア在留許可がおりてから、政府は無料で住む所を提供し、3食用意してくれて、更に2週間に1回、お金を支給してくれました。ありがたかったですね。

ー その後、救世軍の士官になられたのですね。
ホー オーストラリアに来て1年後、牧師になりたいという思いがあることを、救世軍の小隊長(牧師にあたる)に話しました。すると、「救世軍にも士官を養成する士官学校がある。費用なら心配ない」と。難民の私にとってお金がないことは大きな問題でしたから、神様に感謝しました。
私にとって、救世軍の働きに加わることは大変良いことだと思いました。救世軍は、福音を語るだけでなく、神様の愛を実行しているという点で大変魅力的でした。難民だった私が受け入れられ、衣服などの世話をされることによって神様の愛を受け取った経験をしたからです。また、オーストラリア政府に恩返しをすることになるとも思いました。士官になることで、今度はオーストラリアの人々に何かができると思ったのです。

それから約1年間働いて、士官学校に入り、2年後に士官としての働きに就きました。士官になってからは、主に、中国人伝道の働きをしてきました。最初はメルボルンに遣わされました。そこに5年間いて、その間に結婚しました。

ー ご夫人はオーストラリアの方ですか。
ホー いえ。同じベトナム人 ーー かつて私に手紙をくれた、あの女性ドニーです! 驚いたことに、ドニーもオーストラリアに来て、救世軍に導かれていたのです。シドニーの救世軍に属していました。私が勧めたわけでもなんでもなく、彼女自身が導かれて救世軍に来たのです! そして、私が士官としての働きについた時、彼女が士官学校に入校しました。
私たちの結婚については、神様のご計画としか考えられません。私は神様からたくさんお恵みをいただきましたが、彼女は、神様から与えられた最高のものです。

ー 結婚後は、お二人で中国人伝道の働きをされた……。
ホー はい。20年間、その働きをしました。ドニーは、高齢者と子どもの働きに長けており、料理も上手です。私たちの家では、いつでもだれでも食事ができるようにしていました。10人、20人、時には30人になることもありました。
また、小隊では、海外からの学生たちを受け入れていました。その学びの期間中は、彼らは私たちの子どものようなものでした。そのようにしてつながりをもった人たちが結婚して子どもができると、ドニーは必ず飛んで行きました。出産の時、泊まり込んで彼らを助けました。子どもが生まれた後もできる限りのサポートをし、家族同士の交わりをして、人生について分かち合いました。これはお金で買うことのできない素晴らしい関係で、私たちにとっても祝福となりました。これらは、救世軍士官としての使命の実現だと思っています。

ー その後、香港での現在の働きに就かれたわけですね。
ホー はい。2009年からです。香港の救世軍は様々な可能性をもっています。様々な機会が与えられています。その一つに、中国に目を向けるということがあります。また、この香港にはクリスチャンが少なく、福音を伝えるべき人がたくさんいます。同時に、多くの社会的なニーズがあり、社会福祉の働きを期待されています。救世軍は、社会福祉の分野で大きな役割を果たしていますが、もっとたくさんの人材が与えられることを願っています。
私の仕事は、人々を神の愛によって励ますことです。ビジョンを共有し、共に計画を立て、それを完遂する。神様は、ご自身の目的を達成するために私たちを用いてくださるのだ、と励ましています。やるべき事はたくさんありますが、神様が示してくださった働きをおこなっていきたいと思っています。

ー 東日本大震災の救援活動では、香港の資金を用いて多くの救援・支援活動をしていただきました。ホーさんご自身も何度か来日しておられますが、日本の震災と救援活動に関して、どのように考えていらっしゃいますか。
ホー これは単に日本の問題だけではない、震災は世界の問題であると思っています。日本であるかどうかということよりも、そこに傷ついた人、困難の中にある人がいるということです。
私は、被災地にいないので、人々の本当の苦しみは理解することができません。苦しみを分かち合い、時間をとって寄り添うことができればと思うのですが、それもできません。ですから、被災していない地域に住む者ができることは、自分にできる最善を尽くすことだと思っています。香港市民も、私たち救世軍も、被災している人々のために資金を用いる機会を与えられたことに、感謝しているのです。私自身、救世軍に属する者として、間接的にでも、救援に携わることができることを大きな特権と考えています。
日本人とか、香港の市民とかということを超えて、神の愛において一つになるということを、私は希望しています。

ー ありがとうございます。では、ホーさんの最も好きな聖書の言葉を教えてください。
ホー 「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ローマの信徒への手紙12章12節)という御言葉です。

ー 最後に、戦時下のベトナムを生きたご経験から、「平和」についてのコメントをお願いします。
ホー 新約聖書に出てくる伝道者パウロは、「キリストにある平和」ということを強調しましたが、それが一番大切なことです。イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとなって死に、3日目に復活して、私たちが罪を赦され神様と和解できるようにしてくださった ーー このことを信じる人の心に、キリストの平和がもたらされます。神様と和解することなしに本当の平和はありません。一人ひとりがこの平和をもつことで、人と人の間、国と国の間に平和が生まれるのだと思います。

(救世軍士官〔伝道者〕・香港マカオ地区指揮官)

ときのこえ2012年8月号表紙

PDFファイルをダウンロードすることができます
ダウンロード

あなたの支援で
救える人々がいます

あなたの小さな心遣いで貧困や病気に苦しんでいる人、教育を受けられない子どもたち、災害の被災者などを助けることができます。あなたの想いを彼らに届けることができます。ご支援という形で寄付に参加してみませんか。

寄付をしてみる