依頼前テスト_2019/11/9 (土) 京橋小隊バザー
- バザー
年を重ねて、見えてくるもの
石川 節子
聖書箇所 マタイによる福音書25章31-40節
救世軍歌集 246番 イエスの暖かな
現在、私が遣わされている杉並小隊は、幸いにも周りに救世軍の病院・施設があり、地域には浸透しています。それと共に都心ということもあり、新来者がに来られます。そして最近、次々と兵士が与えられています。伝道が困難な時代に、どうして人々が導かれ救われていくのだろうか? こちらの方が驚き不思議に思っています。もちろん神様のみ業なのですが。そこには何か、人々の求めがあると感じています。
確かに、現代社会は政治・経済においても先行きが不安定であり、災害が次々と起こり、人々は大きな不安とを抱えやすい状況です。だからこそ、人々は心の平安、いやし、生きがいを必要としているように思えます。東日本大震災以降、人々の価値観は少しずつ変化しているように感じます。どんなに物があっても、それはいざと言う時には何の助けにもならないし、一瞬で失われてしまうことを私たちは経験しました。人々は物質社会の物の豊かさより、もっと目に見えない大切なものがるということに気づき始めたのではないでしょうか。
近年よく話題になる「」「シンプルライフ」「少ないもので豊かに暮らす」「ミニマリスト」などは、どれも物より心の在り方、生き方を提唱するものばかりです。最近、隣設のバザー場によく、定年後の六十~七十代の夫婦が、寄贈品を持って来られる姿を目にします。長寿国である日本は、個人差はありますが、定年後の二十年、あるいは三十年という時間をどう生きていくか、これが大きな課題であります。の世代がその時を迎えており、なおさら話題となっています。
小隊に導かれて来られる方も、まさに中高年の方々ばかりです。皆さん導かれた理由は様々ですが、共通していることは、「奉仕」です。何人かをご紹介します。
Aさん―ブース病院のシーツ交換のボランティアが救世軍との出会いです。そこから街頭給食の奉仕に参加し、杉並小隊もちょうど当番で参加していました。その時に社会福祉部の岡本大尉が、「今度、日曜日に小隊に行ってみてください。この人が小隊長ですから」と紹介してくださったのです。それからAさんは聖別会に出席され、それ以来、ほぼ毎週いらしています。そして昨年兵士になられました。その後、Aさんは、同じ病院ボランティアのCさんを誘いました。
Bさん―ブース病院でご家族を送られ、チャペルで葬儀をされました。それが大きな慰めとなり、ご主人が亡くなられた時もチャペルでの葬儀を希望されました。その後、チャプレンが小隊を紹介してくださり、聖別会に出席されるようになりました。大きな悲しみを抱える中にも、彼女を支えているのはボランティア活動です。他のNPOでも活動され、今はブース病院でもボランティアとして患者さんに寄り添っておられます。
Cさん―Aさんに誘われて聖別会に出席されました。「ずっとここへ来てみたかったけど、誰でも入れる場所だとは知りませんでした」と。今は聖書交読会、兵士準備会にも出席し、新たに日用品配布にもボランティアとして熱心に参加しておられます。
Dさん―定年後、母親の介護をされる中で求めがあり、キリスト教会をいくつか尋ねましたが、礼拝と奉仕の場があるということで、救世軍に落ち着かれました。昨年兵士になられ、今はブース病院での礼拝の送迎ボランティアをされています。
Eさん―ブース病院で母親を送り、ご自身も通院しています。士官学校の候補生が、開拓募金で訪問したことがきっかけで小隊に来られるようになりました。聖書交読会に出席し、熱心に聖書を読んでおられます。「社会貢献がしたい」と言って日用品配布のボランティアには毎回参加しています。
このほか、ダニエル大尉が講師の、小隊での「イングリッシュ・バイブルクラス」の受講生の中から、二名が「恵みの家」での綿布切りボランティアをされています。一人の方は、一九八〇年代のベトナムからのボートピープルを救世軍で受け入れたことがきっかけで救世軍とつながっている方ですが、義母が訪問介護「ルツ・ナオミ」でお世話になった感謝の思いからボランティアを引き受けてくださいました。
年を重ねていくことで見えてくるものがあります。人生において自分が役に立たなくなることへのりもあります。しかし人生の締めくくりを実感してきたからこそ、心の在り方、生き方を真剣に考え、他者のために生きたいと思うのではないでしょうか。それらの求めが「奉仕」とつながっていくように思います。
救世軍では「神と人とに仕える」とよく言いますが、「仕える(奉仕)」はギリシャ語で「ディアコニア」です。主イエスはこの言葉を、自らの生涯の目的を表す言葉として用いておられます。私たちも人生の目的を見いだし、「仕えるものにしてください」と祈りながら生きていきたいと思います。
(杉並小隊付・少佐)
豊かな交わりの時
張田 直子
箇所 詩編133、134編
救世軍歌集 311番 われらをむすべる
昨年、八月十二日から十七日にかけて、アメリカにおられるルイーズ・モーリス中将をお訪ねしました。この旅行は、ライラ・ワーゲ少佐が、二〇一四年三月に桜を見るために日本に来られた時に、来年はいとこ会がアメリカであるので、それが終わってから一週間ほどモーリス中将夫人をお訪ねするので、一緒に行きませんか、とのお誘いに乗ることで実現しました。
モーリス中将ご夫妻は、私が高校生の時に、三歳の息子さん(現在のテッド・モーリス少佐)と、生後数カ月の息子さんと共に、船で横浜に到着され、日本での奉仕を始められました。ご夫妻は渋谷小隊に属され、ちょうどその頃、両親が渋谷小隊に任命を受けていた関係で、私は、ご夫妻の子どもたちのベビーシッターのアルバイトをさせていただきました。その後、士官になってから、同じ任命地での奉仕をさせていただき、公私共に豊かな交わりをさせていただきました。また、ワーゲ少佐は、モーリス中将ご夫妻の来日から五年程後にノルウェーから日本に任命を受けて来日され、親しくさせていただきました。
現在、モーリス夫人は、ジョージア州アトランタにある有料老人ホームに住んでおられ、三人の息子さんたちはそれぞれ士官として、連隊長、小隊長としてアメリカ南部軍国で活躍しておられます。
今回の旅行は、ご長男のテッド・モーリス少佐が、アトランタでの滞在のすべてをアレンジしてくださり、私はモーリス少佐の家の住所だけを持って、成田から飛行機に乗りました。飛行機の中で、入国カードを記入しますが、私は滞在先を知りませんので、モーリス少佐の自宅の住所を記入しました。アメリカの入国審査を通る時に、「テッド・モーリスとは誰だ」と女性の検閲官に聞かれました。まさか、「べビーシッターをした人です」とは言えず、「友達です」と答えたのを思い出します。
ワーゲ少佐と合流し、モーリス少佐が用意してくださったホテルに到着し、翌日、モーリス夫人のおられる老人ホームに伺いました。ご夫人は、私たちの訪問を大変喜んでくださり、ハグをし合って、再会を喜びました。実は、ワーゲ少佐や、息子さんから、ご夫人が認知症で過去のことを忘れていると伝えられていましたが、全くそれを感じさせないご様子でした。日本におられた時のように温かく、包み込むように迎えてくださいました。長い廊下を通って、彼女の部屋に行くのですが、その途中、目が見えない女性に、ハグをして、「わたしは彼女には必ずハグするの」と言われ、神様はご夫人の良いところを残しておられることを知ることができました。
お部屋には、ご主人のモーリス中将や子どもさん、お孫さんの写真が飾ってあり、また、足元には何冊ものアルバムが置いてありました。そのアルバムを見ながら、タイムスリップしたような気分になりました。日本を愛し、日本で奉仕することができたことを感謝しておられました。私の名前は出てきませんが、懐かしそうに私たちの会話に聞き入っていました。もし、ご夫人がお元気ならば、北海道から九州までの小隊の方々、特に家庭団員の方々のことを事細かに聞かれたのではないかと思います。
日曜日には、アトランタ小隊に出席しました。一番後ろの席に座り、日本でもそうであったように「アーメン」、「ハレルヤ」と、証しや説教の中で相ちを打っておられました。
ワーゲ少佐は、日本では本営での任命がほとんどでしたが、日本の人々を愛し、働きをしてこられました。ある時、労働組合の運動が激しかった頃、清瀬病院の組合員たちが、当時の社会部長に談判しようと本営まで押しかけてきました。寒い日だったようですが、彼らは以前の本営の石の階段に座り込んで待っていました。司令官の秘書だったワーゲ少佐は、組合員が寒かろうと温かい飲み物を作って組合員に配ったのです。その好意は組合員の心に届き、ワーゲ少佐が会議に出席する司令官の車を運転して清瀬病院に行く時には、必ず、特別なお茶を用意してくださったそうです。また夜の街頭給食には、手作りのレモンケーキを焼いて持って行かれました。ワーゲ少佐の自然な、てらいの無いおもてなしを受けた方々が多くおられることと思います。
現在ワーゲ少佐はオスロに住んでおられ、お姉さまのお世話をしながら、引退生活を楽しんでおられます。
数多くの海外士官方が日本において、主の僕の姿を見せてくださり、主にある豊かな交わりをさせていただいたことを感謝いたします。もちろん、今も、海外士官の方々が同じ精神でご奉仕しておられることは、尊く、感謝です。神様の御計らいは行き届いていて、人が計画し得ないような形で、すべてを導いてくださることを感じ、感謝しつつ、帰途に着きました。
(医療部長補佐・少佐)
傷ついた世界の中で癒しを見いだす(1)
(『リバイブ』より抜粋)
アリス・ホセ
聖書箇所 ヨハネによる福音書3章16節
救世軍歌集 100番 主のみ救い
イエス様を世に送ることで、神様はその愛を私たちの住む世界と共有されました。十字架上のキリストの犠牲は預言されていたことであり、その生涯を通して、キリストは全人類に救いを与えられたのです。その救いを受け神の子とされた私たちは、神様の愛を他者との間で分かち合うように、と召されています。
新約聖書では、協力、連帯、交わり、そして分かち合いという言葉は、「コイノニア」という言葉に根ざしています。その意味は、「共に分かち合う」ということです。そして、とりわけ強調されるのが、働きや苦難や礼拝に共に関わることです。キリストを分かち合うということは、すべての信徒にとって、責任であるだけではなく、特権でもあるのです。
キリストを分かち合う
日々キリストを分かち合うことによって、私たちはキリストの証人となり、栄誉と栄光をキリストに帰することになります。
「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」
(ヨハネ15・8)
神様は、私たちが証しすることを望んでおられます。なぜなら、それによって、キリストを受け入れる人々にもたらされる神様の恩恵が明らかになるからです。
人々がキリストを個人的な救い主として受け入れるならば、罪が赦(ゆる)され、神の子となり、その身体は神の宮となります。私たちの分かち合いを通して、救いというキリストからの無償の贈り物が与えられることになり、さらに、神の平和と愛を知るでしょう。そして、キリストの示されるところと人生の目的にしたがって生きることを始めるでしょう。さらに、神の力を経験して、永遠の命の保証を得るのです。主イエス・キリストの愛を経験したならば、その人たちは、自分たちに対してイエス様がしてくださったことを他の人たちと分かち合い、イエス様を伝えたいと願うでしょう。
イエス様は、ご自身が見捨てられた者の友であることをお示しになることによって、憐(あわ)れみを現されました。ヨハネによる福音書三章一六節では、イエス様の救いの業(わざ)と、そのお示しになったものが神様の愛、すなわち、すべての人に向けられた愛であることを高らかに述べています。イエス様は、私たちに、信仰を分かち合うことをお命じになっています。イエス様は、こう言われました。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」(マタイ4・19)
また、こうも言っておられます。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15・16)
傷ついた世界の中で、キリストの救いを知らない人が道に迷っています。その人々に、イエス様のメッセージを分かち合うことが必要です。イエス様は、こう言われました。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
(ヨハネ14・6)
信仰をもって生きていく私たちは、イエス様を個人の救い主として信じることは重要なことです。そして、他の人たちとキリストを分かち合うことが、私たちの責任です。
クリスチャンは、イエス様の歩まれた道に従う者であり、キリストのご意志と目的に従う者です。私たちは、その態度や行動や対応を通じて、イエス様による神様の愛を証しすべきです。
キリストは私たちに、絶え間なく、無欲に愛することを求めておられます。憐れみと、支えと、愛を生み出す唯一の力、それは神ご自身です。もし私たちがキリストの愛と赦しを信じて、これに依(よ)り頼むなら、私たちは、無限の備えからこれらのものを引き出すことができ、他の人々を、より熱烈にそして心から愛し始めることができるようになります。
あなたがたが、他の人へ愛を示すことにためらいを感じた時は、イエス様を通して得られる恵みの豊かさを思い出してください。私たちが深く喜びに満たされ、自由に愛することができるのも、イエス様がおられるからです。キリストが教えてくださったことは、すべての人に愛をもって接することであり、他の人を見る時は、キリストのまなざしにある洞察と憐れみを通して見ることです。
私たちはキリストの子であり、キリストの模範と、私たちの内に働く私たちを変えてくださった力が、キリストのように他の人を愛することを可能にさせてくださるでしょう。
(インド南西部軍国女性部付・大尉)
あなたの支援で
救える人々がいます
あなたの小さな心遣いで貧困や病気に苦しんでいる人、教育を受けられない子どもたち、災害の被災者などを助けることができます。あなたの想いを彼らに届けることができます。ご支援という形で寄付に参加してみませんか。
寄付をしてみる