依頼前テスト_2019/11/9 (土) 京橋小隊バザー
- バザー
数年前、救世軍の運営する、ある地方の児童養護施設を訪ねました。応接間に座っていると、一人の女の子が近寄って来て、尋ねました。
「先生は東京から来たの?」
「そうだよ」
と返事をすると、
「いいなー! 私も東京に行きたいなー!」
と女の子。
「どうして?」
「だって、東京に行けば有名人にたくさん会えるんでしょ!!」
という返事。思わず笑みがこぼれてしまいました。その子は「有名人」に会いたいのです。わたしは笑ってしまいましたが、誰もが、似たような思いをもってはいないでしょうか。
社会的地位の高い人と知り合いになりたい、有名なタレントと話をしてみたい、お金持ちの友人をもちたい……。しかし、みすぼらしい、汚い服を着た、少し臭いのする人が前から来たら、思わず避けてしまう。多くの人のごく普通の姿ではないでしょうか。
さて、「昔から、高尚な精神を、もつ人は、みな、弱者を忘れない。その人がどういう人であるかは、その人の、貧しい人、弱い人に対する態度を見れば理解することができる」とは、ある先人の言葉です。
今から百四十七年前の七月、メソジストの牧師であったウイリアム・ブースは、ロンドンにおいて救世軍の働きを始めます。
当時、英国では、産業革命後の大きな経済の混乱の中、劣悪な職場環境での長時間労働などが一般化し、街には、街頭生活者、泥酔者、売春婦が多く見られるような状態でした。ブースは、
「彼らほどイエス・キリストの福音を聞く権利をもった人たちはいない」と思い、こうした人々の友となり、彼らに伝道を開始します。そして、言葉による伝道とともに、実際的に福音を実行します。長時間労働を強いられていたマッチ工場の少女たちのために、救世軍のマッチ工場を設立します。酒におぼれていた人たちのためには、更生するための施設を造ります。街頭で生活していた人たちのために簡易宿泊施設を造ります。こうして、救世軍が始められました。
今日、それと同じ精神で、百二十四の国と地域で、同様の働きが進められています。
ブースの思いは、実は、イエス・キリストのそれに倣ったものでした。
キリストは神の子であったのに、人の姿をとって、地上に来られ、罪人の友、弱者の友、社会からつまはじきにされていた人の友となり、最後には、罪人の一人に数えられて、十字架にかけられて死なれました。しかし、三日目によみがえり、今も生きて、弱い者、自分ではどうしようもないと失望している人、社会の誰もが相手にしてくれない人の友となってくださるのです。
(救世軍士官[伝道者]・司令官)
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