依頼前テスト_2019/11/9 (土) 京橋小隊バザー
- バザー
(救世軍万国本営サイト、2010年3月18日付)
2010年1月12日、午後3時30分まで
いつもとまったく同じような午後であったと彼は述べている。救世軍ハイチ連隊長、ルシアン・ラマルツィニアは連隊本部の建物で会合を終えた。予定より時間が延びた。
同少佐は妻のマリーを友人宅で降ろした。妻が彼と共にまっすぐ帰宅しようとしなかったのはこれが初めてである、彼女は友人を訪ねることを望んだ、と彼は説明した。
午後4時
ラマルツィニア少佐は飲み物を買うために商店に寄るつもりだった。彼は忘れてしまい、家に向かった。
午後4時45分
彼は台所に立つと冷蔵庫を開け、飲み物を手にした。地面が揺れ、彼の家は彼の周囲で崩れ始めた。そして彼の言によれば「無限に長い時であるかのように感じながら」彼は外に走って出た。家の門は施錠されていた。地面はなおも揺れた — 門が壊れて開くのに充分なほど。彼は通りに飛び出すと、彼の家と近隣の家が崩壊するのを見つめた。「わたしは地球の終焉に立ち会っていると思った。」ラマルツィニアは言う。
台所の跡。屋根が冷蔵庫の上に崩れ落ちた。 ラマルツィニア連隊長は地震の瞬間、 このあたりに立っていた。 |
午後4時46分
揺れは止まった。1分に満たない間に、歴史上最も強烈な地震の一つが、一つの国全体をほとんど破壊し尽くしたのであった。彼は妻に電話した。応答無し。妻を捜すため、彼は歩いた。妻の友人の家にようやく到着した時、その家がまだ立っているのを見て彼は安堵のため息をついた。しかしマリーはそこを離れていた — 彼を捜すために。
午後5時
マリーは家に戻った。自動車は崩れ落ちた家の下で潰れていた。彼女は最悪の事態を感じて恐怖した。
午後5時10分
ラマルツィニア少佐は徒歩で自宅に戻り、そこで妻と再会した。
2か月後、彼は自分の話を昨日のことのように語ってくれた。彼の目を見ていると、地震のことを語るたびに眼光は鮮明になって、彼はたちまち引き戻されていた。あの時、あの場所、あの恐怖・・・そしてあの時の願いに。
彼は神から4つの奇跡を授かったと信じている。彼は生き延び他の少なくとも23万人はそうではなかったことの理由として。
ラマルツィニア少佐が崩壊した自宅の前に立ち、
廃墟と化したかつての家屋を間近に見る
一夜明けて・・・
連隊長として、ラマルツィニアは配下の士官とスタッフたちの安否確認をしなければならなかった。彼は連隊本部まで5 マイルを歩いた。深刻な損害でその建物は使用不能であった。士官とスタッフ合わせて200人がハイチでの任に当たっていることを考慮すれば、この国の多くの人々と比べて救世軍における死者の数は最少というところであった。集会に向かう途上にあったメスゲル・アングラド曹長は彼の自動車の中で死んだ。救世軍の教会に所属する2人の少女も揺動の中で死んだ。
ハイチの今後全部を変えることになったその日以後、ラマルツィニアが言うには、多くの人々はそれまで救世軍の活動に見向きもしなかったが、いまやこの組織に助けを求めて群れをなしているとのこと。スタッフたちはまず、備蓄の中で保たれた多少の食品を見つけ、困っていた人々のために調理を始めた。
救世軍が特務部隊(Incident Command)を結成し支援活動の一番槍となった途端、以前の連隊本部建物および半壊した学校と診療所がある場所の隣で、人々はテントの町、キャンプを形成した。世界中からの援助を受けて、救世軍は今も続けられている食料配布を開始、現時点では20,000人に食料を与えている。キャンプ在住者の一人は、特務部隊に感謝を表して言った。「救世軍が無ければ死んでいたところです。ありがとう。」
少佐夫妻は今も、以前の連隊本部の駐車場に張ったテントで生活している。彼らのもとにある人々と共にいることを夫妻は欲しており、また必要としている。自分たちが人々のすぐそばで共にいることを知っていてもらうために。
ラマルツィニア少佐が将来のこととして第一に希望していることは、人々をポルトープランスの外に、恒久的な住居に移動させることである。
彼の思うところは単純である。「救世軍があらゆること全部を実施するのは不可能なのです・・・この場所でできることはやっていきますが。」
ハイチ特務部隊公報担当官・ステイシー・ハワード、ハイチ・ポルトープランスより報告
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