依頼前テスト_2019/11/9 (土) 京橋小隊バザー
- バザー
(救世軍万国本営サイト2010年2月4日付)
ハイチの救世軍は地震被災者支援としてさらに100万食分以上の食事を配給した。つい先ごろ行われた配給では、その 1回で、50万食を越える分の食料が4時間のうちに提供された。当団体は他の非政府組織(NGO)や各種機関と歩調を合わせて動いているが、現段階においてアメリカ陸軍第82空挺師団と良好な業務連携を築いている。
1月29日・金曜日の夜、第82空挺師団に任を受けているある士官から救世軍に対して、ハイチの首都ポルトープランスの最も危険な地区で配給活動をしてほしいとの要請があった。彼は安全確保について、今回とその次の月曜日に予定されている配給でもその任に当たることを了承した。この2回の配給はどちらも無事に進行した。現在は国連および第82空挺師団との間に非常に力強くまた貴重な関係が結ばれている。
ハイチの(救世軍)広報担当官であるケリー・ポンツラー少佐は、自ら見たところをこのように記述した。「午後2時にトラックの車列が到着した。これには護衛としてアメリカ陸軍第82空挺師団の所属員約40人を乗せた4台の車両がついていた。彼らが到着して数分のうちにコンテナトラックが位置につき、救世軍とアメリカ軍の人員も持ち場について、扉が開けられ食料品が運ばれ始めた。」
「この配給のために何十人ものスタッフとボランティアが現場に立った、奉仕のために。家を失った何千もの人々が埃をかぶった路上に集まった、継続している生存の試練のために。」
「瓦礫の端々からくすぶり出ている煙が集まって狭い道路を流れる中、家族を構成する人々が、食糧配給のカードを差し出して印をもらうその順番を待つ列に連なっている。その列が数インチ進むごとに、カードを持つ人が一人また一人と食料を受け取る。食料パッケージの内容は – 米、豆、野菜 – 栄養源としては5人家族1週間分に相当するものだ。概算で552,000食分相当が4時間未満のうちに配給された。」
医療も引き続き提供されており、平均しても毎日200人をゆうに越える人々が手当てを受けている。救世軍カリブ軍国の書記長官、リンゼイ・ロウ大佐補は言う。「献身的なこれらの医師たち、看護師たち、支援スタッフたちの仕事には本当に驚かされます。彼らが自由に使用できる医療資源はまったく限られているという中で複雑な医療業務に専心する有様には畏敬の念を覚えます。」
ロウ大佐補が地震発生後のハイチを訪れるのはこれが最初である。彼はこう書き記してもいる。「わたしがポルトープランスの壊滅した市街地に到着して見たり経験したりすることについて、心の準備をさせてくれるようなものは無かった、それは不可能であった。この地震の規模がわたしに見させた光景、音、臭いは、それ自体以外のどんなメディアもわたしに見せることはおそらくできなかったであろう。」
「ポルトープランスの街は残骸 – 瓦礫と破片の集積物 – に埋もれている。33秒間の地震の揺れに耐え抜いたように見える建物も、その多くは構造上の支障を生じており、取り壊す必要がある。」
市街地の中でも最も貧しく危険を孕んだ地域というものはいくつかあるが、救世軍の敷地はその一つの中心部にあり、児童数1,500人の学校、52人の孤児がいる児童ホーム、毎日200人を扱う診療所、1,000座席の小隊(教会)建物、(救世軍)ハイチ連隊本部、スタッフの寮、会議場、戸建ての士官住宅数棟、管理棟といった施設建物からなっている。このうち学校だけが危険な状態に陥り、建て替えの必要がある。
連隊本部は金曜日(1月29日)に賃借施設に移転した。
救世軍支援チームの重点的な支援対象は、引き続きであるが、ポルトープランスの救世軍敷地に近隣で生活する 20,000人の人々である。一方、木曜日(1月28日)、ポルトープランスから68kmのところにあるプチ・ゴアヴでの物資配布も開始した。先の地震以来、同地域における大規模な食料配布はこれが最初であった模様。同地への道のりはちょっとやそっとの話ではなかった。道路に岩や瓦礫が落ちて通行がほとんど不可能であった地点のうち、障害が除去されたところは部分的であった。
ロウ大佐補は言う「プチ・ゴアヴの救世軍敷地にわたしたちが到着した時、小隊士官(牧師)のルリエル・ジォンヴィ大尉とリンダ・ジォンヴィ大尉、また小隊所属の20人のボーイ・スカウトたちがわたしたちの到着を待っていました。そして大勢の群集が配布の番号札を手にして路上に集まっていました。国連の兵士たちによる安全面での素晴らしい配慮を受けて、1世帯にとって1週間分にあたる内容物が入った500の箱が整然とした状態で配布されました。配布された食料はすぐに作ることができる米と大豆のキャセロール料理で栄養強化されたものです。調理に必要なことは熱湯を加えることだけで、それですぐ盛り付けられる状態になるのです。」
レオガヌとジャクメルへの調査訪問も計画中であり、窮乏の程度や両地域へ支援活動を拡張するための物資輸送について調べることになる。ポルトープランスのル・ボン・サマリタン孤児院への調査訪問では、その結果テント20張と食品7ケース分が配送された。同院の130人の子どもたちのために、この配送は引き続き毎週行われることが約束された。同市にある他の孤児院も、それぞれの不足についての調査訪問を受けてもらっているところである。
「ポルトープランスはテントの街になっています。」ロウ大佐補は言う。構造的に問題の無い家の主たちでさえ、その中では眠らず調理もせず、裏庭にテントを張ってそこで火を起こすことを選んでいる。
大佐補は、このような恐怖の感情が86歳の救世軍引退士官、キャスリン・パケット少佐にも見られると説明した。彼女は創立者章 ‐ 救世軍では最高の栄誉 ‐ の受章者であるが、連隊本部までタクシーでやって来て、テントと寝床のマットを求めたのである。「わたしの家は大丈夫ですよ。」彼女は言った。「でも、その中に安眠というものが無いのです。」
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