依頼前テスト_2019/11/9 (土) 京橋小隊バザー
- バザー
〈死んだら人間、おしまいだ。おわりがあるから、人生だ。かぎりない命など、とてもじゃないが耐えられない。〉
そう思っている方に、カラフルなゆでたまごを差し出して、「イースターおめでとう」と笑顔で勧めるクリスチャン!
これが、クリスマスにくらべ、なかなかイースターが日本に定着しないわけかもしれません。
人間の「常識」に反して、聖書はそもそものはじまりにおいて、人間は不死の存在であったことをほのめかしています。
永遠で無限の神様に、人間が心をつないで、その神様がくださる永遠のよろこびを味わい知るには、人間のほうもまた永遠の存在である必要がある。
聖書は人間にそのことを伝えようとしているのです。
神様と人間とのあいだの心と心のつながりが、ふっつり切れたから、人間は永遠に生きることの意味を失い、死ぬようになりました。
死のはじまりを聖書は描き、以来、死が世界をおおって今に至っているのは、わたしたちの経験どおりです。
神様どころじゃない。人と人とのあいだですら心と心をつなぐのに失敗し続けています。
ぶっちょうづらをしているあの人や、この人と、おわりのない世界に閉じ込められたら、と想像したら、おそろしくてしかたありません。
しかし、イエス・キリストはおっしゃいました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネによる福音書11章25、26節)
イエス・キリストが示してくださった人生の秘訣は、「赦す」ことです。
本気で相手を赦そうと覚悟を決めて、心がぐらついても、赦して、赦して、赦し抜いたとき、心はうらみ、つらみ、怒り、ねたみから解放され、そこに、まことの平和が与えられます。
そうしてはじめて、わたしたちは、永遠を生きることを耐えられる存在に、いや、永遠にあの人ともこの人とも心をつないで生きていたいと祈り願える存在に、変えられるのです。
そういう存在に、わたしたちがなり得ることを、イエス様は目に見えるかたちで、見せてくださいました。
イエス様は、弟子たちに裏切られ、十字架に架けられ、墓に納められました。その墓は番兵の見張り付きで厳重に封印されていたのに、三日目によみがえられて、「おはよう」と弟子たちの前に姿を現されました。(マタイによる福音書28章9節より)
それが、イースターです。
よみがえられたイエス様を目の前に見て、信じられず不思議がっている弟子たちに(目で見なければ信じない、というのは嘘です。目の前に見てたって実際は信じられないのです)イエス様はおっしゃいました。
「あなたがたに平和があるように」
「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(ヨハネによる福音書20章19、23節)
イースターのゆでたまごに塩をふってかじりながら、真剣に考えるべきことは、「わたしは誰を赦すべきだろうか」ということです。
神様は、イエス・キリストの十字架によって、あなたの罪をつぐない、赦してくださる神です。
だから「あなたも赦しなさい」と神様はあなたに勧めておられます。
「よし、赦そう!」と心底思えたら、あなたはもう、永遠の命を今、生きはじめているのです。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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